写真:岩倉使節団(1872年/パブリックドメイン)

日本史 / 近代のはじまり

幕末から明治へ

1853 — 1890

黒船が来てから、憲法ができて国会が開かれるまで。37年で国のかたちが入れ替わりました。 年号を覚える前に、なぜその順番になったのかをつかみます。

ねらい

  • この37年がひとつづきの理由でつながっていると説明できる
  • 出発点(外からの圧力)と終着点(憲法と議会)を言える
  • 年号の前に、順番の理由をつかむ

この面で使う言葉

攘夷(じょうい)
外国を追い払おうという考え
倒幕
幕府を倒して新しい政府をつくろうとする動き
大政奉還
将軍が政権を朝廷に返すこと
富国強兵
国を豊かにし、軍を強くするという明治政府の方針

なぜこの順番になったのか

この37年は、ばらばらの出来事の集まりではありません。ひとつの問いへの答えが、次の問いを生んだ——その連なりです。

因果の流れ

黒船が来る外から開国を迫られた不平等な条約幕府への不満が高まる倒幕へ薩摩と長州が手を結ぶ新政府ができる大政奉還・王政復古中央にまとめる版籍奉還・廃藩置県富国強兵徴兵令・地租改正武士が身分を失う不満が反乱と運動へ憲法と議会1889年憲法・1890年議会

出発点は外からの圧力、終着点は憲法と議会。 その間はすべて「どうやって国をまとめ直すか」という一つの問題への対応でした。

押さえどころ

  • 開国を迫られ、不平等な条約を結んだことが幕府への不満を生んだ
  • 攘夷が無理だと分かった時点で、目標は「追い払う」から「強い国を作る」へ変わった
  • 新政府の最初の仕事は、藩に分かれた実権を中央にまとめることだった
  • その改革が武士の身分を消し、不満が反乱と自由民権運動に分かれた
  • 言論の要求に応える形で憲法(1889)と議会(1890)ができた

覚えているか — この面の言葉

黒い部分をタップすると答えが出ます。

用語意味
攘夷外国を追い払おうという考え
倒幕幕府を倒して新しい政府をつくろうとする動き
大政奉還将軍が政権を朝廷に返すこと
富国強兵国を豊かにし、軍を強くするという明治政府の方針
自分の資料を差し込む教科書の年表、授業プリント、資料集の図版

ねらい

  • 37年を4つの時期に区切って説明できる
  • 各時期に何が問題で、どう答えたのかを言える
  • 不平等条約の中身(領事裁判権・関税自主権)を説明できる

この面で使う言葉

領事裁判権
相手国の人が罪を犯しても、日本の法で裁けない取り決め
関税自主権
輸入品にかける税率を自分の国で決める権利。これが無かった
版籍奉還
大名が土地(版)と人民(籍)を天皇に返したこと
廃藩置県
藩を廃止して県を置き、中央から知事を送った改革
地租改正
税を「収穫に応じた米」から「地価の3%を現金」に変えた改革

4つの時期で読む

まとめて覚えようとすると混ざります。問題が入れ替わる場所で4つに区切ると、筋が通ります。

4つの時期(帯の長さは年数に比例)

1853Ⅰ 開国と動揺1860Ⅱ 攘夷から倒幕へ1868Ⅲ 新政府の建設1874Ⅳ 不満、そして憲法へ1890

開国と動揺

1853–1860

アメリカは捕鯨船や中国航路の補給地を求めていました。1853年、ペリーが軍艦で浦賀に現れ、翌年日米和親条約で下田と箱館が開かれます。続く1858年の日米修好通商条約は、大老・井伊直弼が朝廷の許可を得ないまま調印したうえ、相手国民を日本の法で裁けない(領事裁判権)、輸入品の税率を自分で決められない(関税自主権がない)という不平等な内容でした。反対派を弾圧した安政の大獄は反発を招き、井伊は桜田門外で暗殺されます。

  • 日米和親条約(1854)
  • 日米修好通商条約(1858)
  • 安政の大獄・桜田門外の変

攘夷から倒幕へ

1860–1867

当初の合言葉は「外国を追い払え」(攘夷)でした。しかし1863年の薩英戦争、翌年の四国艦隊による下関砲撃で、力の差を思い知ります。攘夷は無理だと分かった時点で、目標は「外国を追い払う」から「外国に対抗できる強い国を作る」へ変わりました。そのためには幕府では足りない——こうして1866年、敵対していた薩摩と長州が薩長同盟を結び、1867年に徳川慶喜が大政奉還で政権を朝廷へ返します。

  • 薩英戦争(1863)
  • 薩長同盟(1866)
  • 大政奉還・王政復古(1867)

新政府の建設

1868–1873

新政府がまず直面したのは、名前だけ変わっても実権は各藩にあるという問題でした。1869年の版籍奉還で大名は土地と人民を天皇に返し、1871年の廃藩置県で藩そのものが廃止されます。続いて1873年、徴兵令で武士以外からも兵を集め、地租改正で税を「収穫に応じた米」から「地価の3%を現金で」に変えました。政府の収入が天候に左右されなくなった一方、農民の負担感は重くなります。

  • 版籍奉還(1869)
  • 廃藩置県(1871)
  • 徴兵令・地租改正(1873)

不満、そして憲法へ

1874–1890

改革は武士という身分そのものを消しました。刀を差す特権も、家ごとの給与もなくなります。その不満は二つの道に分かれました。ひとつは武力で、1877年の西南戦争が最後の反乱になります。もうひとつは言論で、1874年の民撰議院設立建白書に始まる自由民権運動です。政府は1881年に国会開設を約束し、1885年に内閣制度、1889年に大日本帝国憲法を発布、翌1890年に第1回帝国議会を開きました。ただし選挙権は直接国税15円以上を納める25歳以上の男子に限られ、有権者は全人口の約1.1%にすぎませんでした。

  • 西南戦争(1877)
  • 国会開設の勅諭(1881)
  • 憲法発布(1889)・議会(1890)

押さえどころ

  • Ⅰ 開国と動揺:不平等条約と、無許可調印への反発
  • Ⅱ 攘夷から倒幕へ:実力差を知り、目標が入れ替わった
  • Ⅲ 新政府の建設:版籍奉還 → 廃藩置県で実権を中央へ
  • Ⅳ 不満と憲法:武力(西南戦争)と言論(自由民権)に分かれ、憲法と議会へ

覚えているか — この面の言葉

黒い部分をタップすると答えが出ます。

用語意味
領事裁判権相手国の人が罪を犯しても、日本の法で裁けない取り決め
関税自主権輸入品にかける税率を自分の国で決める権利。これが無かった
版籍奉還大名が土地と人民を天皇に返したこと
廃藩置県藩を廃止して県を置き、中央から知事を送った改革
地租改正税を地価の3%を現金で納める形に変えた改革
西南戦争士族による最後の武力反乱(1877年)

ねらい

  • 主要な出来事を年の順に並べられる
  • 流れが大きく変わった年(1853・1867・1871・1889)を挙げられる
  • 出来事の間隔(何年空いたか)をつかむ

いつ何が起きたか

朱の印は、流れが大きく変わった年です。

年表 1853–1890

1853ペリーが浦賀に来航軍艦4隻で開国を要求1854日米和親条約下田と箱館を開き、鎖国が終わる1858日米修好通商条約/安政の大獄朝廷の許可なく調印。反対派を弾圧1860桜田門外の変大老・井伊直弼が暗殺される1863薩英戦争攘夷が実力では無理だと分かる1866薩長同盟敵対していた薩摩と長州が手を結ぶ1867大政奉還/王政復古の大号令徳川慶喜が政権を朝廷へ返す1868戊辰戦争/五箇条の御誓文新政府の方針を示す。江戸を東京と改称1869版籍奉還大名が土地と人民を天皇に返す1871廃藩置県/岩倉使節団藩を廃し県を置く。使節団が欧米へ1872学制/新橋—横浜に鉄道教育と交通の近代化が始まる1873徴兵令/地租改正/明治六年の政変兵と税を作りかえる。西郷らが政府を去る1874民撰議院設立建白書国会を開けという要求が始まる1877西南戦争士族による最後の武力反乱1881国会開設の勅諭10年後の国会開設を約束1885内閣制度初代内閣総理大臣は伊藤博文1889大日本帝国憲法 発布天皇が定めて与える形の憲法1890第1回帝国議会約束どおり国会が開かれる

押さえどころ

  • 1853 ペリー来航 ─ すべての起点
  • 1867 大政奉還 ─ 政権が朝廷へ戻る
  • 1871 廃藩置県 ─ 実権が中央に移る
  • 1889 憲法発布 → 1890 第1回帝国議会

覚えているか — この面の言葉

黒い部分をタップすると答えが出ます。

ペリー1853年 が軍艦4隻で浦賀に来航し、開国を迫った
日米修好通商条約1858年 を結んだ。領事裁判権を認め、関税自主権がない不平等条約だった
桜田門外の変1860年 で、大老の井伊直弼が暗殺された
薩長同盟1866年 により、敵対していた薩摩と長州が手を結んだ
大政奉還1867年 で、徳川慶喜が政権を朝廷に返した
版籍奉還1869年 により、大名が土地と人民を天皇に返した
廃藩置県1871年 で藩が廃止され、中央から知事が送られた
地租改正1873年 により、税は地価の3%を現金で納める形になった
西南戦争1877年 が、士族による最後の武力反乱となった
国会開設の勅諭1881年 が出され、10年後の国会開設が約束された
内閣制度1885年 がつくられ、伊藤博文が初代総理大臣になった
大日本帝国憲法1889年 が発布された
第1回帝国議会1890年 が開かれた
自分の資料を差し込む年表のプリント、資料集のページ

ねらい

  • 主要な人物がどの場面の人かを言える
  • よく出る用語の意味を自分の言葉で説明できる

人物

ペリーアメリカ東インド艦隊司令長官1853年に浦賀へ来航し、開国を迫った
井伊直弼幕府の大老朝廷の許可なく通商条約に調印。安政の大獄の後、暗殺された
坂本龍馬土佐藩出身の志士薩摩と長州の仲立ちをしたとされる
徳川慶喜15代将軍1867年に大政奉還を行い、幕府の幕を引いた
西郷隆盛薩摩藩出身倒幕の中心。のちに政府を去り、西南戦争で敗れる
大久保利通薩摩藩出身廃藩置県や殖産興業を進めた新政府の実力者
岩倉具視公家使節団を率いて欧米を視察し、制度づくりの土台を作った
伊藤博文長州藩出身憲法づくりを主導し、初代内閣総理大臣となった
板垣退助土佐藩出身民撰議院設立建白書を出し、自由民権運動を率いた

用語

尊王攘夷天皇を尊び、外国を追い払おうという考え。実力の差が分かると倒幕へ向かった
不平等条約領事裁判権を認め、関税自主権がない条約。改正は明治の外交の最大の課題になった
版籍奉還大名が土地(版)と人民(籍)を天皇に返したこと。ただし統治は元の大名が続けた
廃藩置県藩を廃止して県を置き、中央から知事を送った改革。これで実権が政府に移った
地租改正税を米から現金に、収穫高から地価3%に変えた改革。政府の収入が安定した
殖産興業官営工場などで産業を育てた政策。富岡製糸場が代表例
自由民権運動国会開設と憲法制定を求めた運動。武力ではなく言論による要求
欽定憲法君主が定めて国民に与える形の憲法。大日本帝国憲法がこれにあたる

覚えているか — この面の言葉

黒い部分をタップすると答えが出ます。

人物どの場面の人か
ペリー1853年に浦賀へ来航し、開国を迫った
井伊直弼朝廷の許可なく通商条約に調印。安政の大獄の後、暗殺された
坂本龍馬薩摩と長州の仲立ちをしたとされる
徳川慶喜1867年に大政奉還を行い、幕府の幕を引いた
西郷隆盛倒幕の中心。のちに政府を去り、西南戦争で敗れる
大久保利通廃藩置県や殖産興業を進めた新政府の実力者
岩倉具視使節団を率いて欧米を視察し、制度づくりの土台を作った
伊藤博文憲法づくりを主導し、初代内閣総理大臣となった
板垣退助民撰議院設立建白書を出し、自由民権運動を率いた

ねらい

  • 選択問題で、流れと用語を確かめる
  • 間違えたところは前の面へ戻って読み直す

確認テスト

Q11853年に浦賀へ来航し、開国を迫った人物はだれか。

Q2日米修好通商条約が不平等とされる理由はどれか。

Q3攘夷から倒幕へ目標が変わったきっかけとして正しいのはどれか。

Q4大政奉還によって起きたことはどれか。

Q5藩を廃して中央から知事を送った改革はどれか。

Q6地租改正で税のしくみはどう変わったか。

Q7士族による最後の大きな反乱はどれか。

Q81890年の第1回帝国議会のとき、選挙権があったのはどのような人か。

ねらい

  • この面だけで、37年ぶんを通しで確かめられる
  • 思い出せないところは、その面へ戻って読み直す

全体チェック

この1枚に全部入っています。黒い部分をタップすると答えが出ます

① 流れ

🔍 ひとつの問いへの答えが、次の問いを生んだ。
黒船が来る外から開国を迫られた不平等な条約幕府への不満が高まる倒幕へ薩摩と長州が手を結ぶ新政府ができる大政奉還・王政復古中央にまとめる版籍奉還・廃藩置県富国強兵徴兵令・地租改正武士が身分を失う不満が反乱と運動へ憲法と議会1889年憲法・1890年議会
  • 出発点=外からの圧力(黒船と不平等条約
  • 転換点=攘夷が無理と分かり、強い国を作る方向へ
  • 中央集権=版籍奉還 → 廃藩置県 で実権が政府へ
  • 終着点=大日本帝国憲法(1889)と第1回帝国議会(1890)

② 4つの時期

🔍 問題が入れ替わる場所で区切ると、筋が通る。
1853Ⅰ 開国と動揺1860Ⅱ 攘夷から倒幕へ1868Ⅲ 新政府の建設1874Ⅳ 不満、そして憲法へ1890
  • 開国と動揺(1853–1860)… 無許可の調印と安政の大獄への反発
  • 攘夷から倒幕へ(1860–1867)… 薩英戦争で実力差を知り、薩長同盟
  • 新政府の建設(1868–1873)… 徴兵令と地租改正で兵と税を作りかえる
  • 不満と憲法(1874–1890)… 西南戦争と自由民権運動、そして憲法へ

③ 年表の要所

🔍 大きく変わった4つの年。
1853ペリーが浦賀に来航軍艦4隻で開国を要求1854日米和親条約下田と箱館を開き、鎖国が終わる1858日米修好通商条約/安政の大獄朝廷の許可なく調印。反対派を弾圧1860桜田門外の変大老・井伊直弼が暗殺される1863薩英戦争攘夷が実力では無理だと分かる1866薩長同盟敵対していた薩摩と長州が手を結ぶ1867大政奉還/王政復古の大号令徳川慶喜が政権を朝廷へ返す1868戊辰戦争/五箇条の御誓文新政府の方針を示す。江戸を東京と改称1869版籍奉還大名が土地と人民を天皇に返す1871廃藩置県/岩倉使節団藩を廃し県を置く。使節団が欧米へ1872学制/新橋—横浜に鉄道教育と交通の近代化が始まる1873徴兵令/地租改正/明治六年の政変兵と税を作りかえる。西郷らが政府を去る1874民撰議院設立建白書国会を開けという要求が始まる1877西南戦争士族による最後の武力反乱1881国会開設の勅諭10年後の国会開設を約束1885内閣制度初代内閣総理大臣は伊藤博文1889大日本帝国憲法 発布天皇が定めて与える形の憲法1890第1回帝国議会約束どおり国会が開かれる
  • 1853 ペリー来航 ─ すべての起点
  • 1867 大政奉還 ─ 政権が朝廷へ戻る
  • 1871 廃藩置県 ─ 実権が中央に移る
  • 1889 憲法発布 → 1890 第1回帝国議会(有権者は全人口の約1.1%

④ 人物

🔍 誰がどの場面の人か。
  • 井伊直弼… 朝廷の許可なく通商条約に調印し、桜田門外で暗殺された
  • 徳川慶喜… 大政奉還を行った15代将軍
  • 西郷隆盛… 倒幕の中心。のちに政府を去り、西南戦争で敗れる
  • 伊藤博文… 憲法づくりを主導し、初代内閣総理大臣となった
  • 板垣退助… 民撰議院設立建白書を出し、自由民権運動を率いた

⑤ 用語

🔍 試験で問われるのはこの言い回し。
  • 領事裁判権… 相手国の人を日本の法で裁けない
  • 関税自主権… 輸入品の税率を自分で決める権利。これが無かった
  • 版籍奉還… 大名が土地と人民を天皇に返した(統治は元の大名が継続)
  • 地租改正… 税を地価の3%を現金で納める形に変えた
  • 欽定憲法… 君主が定めて国民に与える形の憲法
年号と出来事は国立国会図書館・国立公文書館の年表で確認。文章・図・設問はすべて新規に作成しており、転載はしていません。
書き込みの道具(note-take.js)だけ外部から読み込み。図はすべて座標を計算して生成した SVG です。