ねらい
- この37年がひとつづきの理由でつながっていると説明できる
- 出発点(外からの圧力)と終着点(憲法と議会)を言える
- 年号の前に、順番の理由をつかむ
この面で使う言葉
- 攘夷(じょうい)
- 外国を追い払おうという考え
- 倒幕
- 幕府を倒して新しい政府をつくろうとする動き
- 大政奉還
- 将軍が政権を朝廷に返すこと
- 富国強兵
- 国を豊かにし、軍を強くするという明治政府の方針
なぜこの順番になったのか
この37年は、ばらばらの出来事の集まりではありません。ひとつの問いへの答えが、次の問いを生んだ——その連なりです。
出発点は外からの圧力、終着点は憲法と議会。
その間はすべて「どうやって国をまとめ直すか」という一つの問題への対応でした。
押さえどころ
- 開国を迫られ、不平等な条約を結んだことが幕府への不満を生んだ
- 攘夷が無理だと分かった時点で、目標は「追い払う」から「強い国を作る」へ変わった
- 新政府の最初の仕事は、藩に分かれた実権を中央にまとめることだった
- その改革が武士の身分を消し、不満が反乱と自由民権運動に分かれた
- 言論の要求に応える形で憲法(1889)と議会(1890)ができた
覚えているか — この面の言葉
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| 用語 | 意味 |
|---|
| 攘夷 | 外国を追い払おうという考え |
| 倒幕 | 幕府を倒して新しい政府をつくろうとする動き |
| 大政奉還 | 将軍が政権を朝廷に返すこと |
| 富国強兵 | 国を豊かにし、軍を強くするという明治政府の方針 |
自分の資料を差し込む教科書の年表、授業プリント、資料集の図版
ねらい
- 37年を4つの時期に区切って説明できる
- 各時期に何が問題で、どう答えたのかを言える
- 不平等条約の中身(領事裁判権・関税自主権)を説明できる
この面で使う言葉
- 領事裁判権
- 相手国の人が罪を犯しても、日本の法で裁けない取り決め
- 関税自主権
- 輸入品にかける税率を自分の国で決める権利。これが無かった
- 版籍奉還
- 大名が土地(版)と人民(籍)を天皇に返したこと
- 廃藩置県
- 藩を廃止して県を置き、中央から知事を送った改革
- 地租改正
- 税を「収穫に応じた米」から「地価の3%を現金」に変えた改革
4つの時期で読む
まとめて覚えようとすると混ざります。問題が入れ替わる場所で4つに区切ると、筋が通ります。
アメリカは捕鯨船や中国航路の補給地を求めていました。1853年、ペリーが軍艦で浦賀に現れ、翌年日米和親条約で下田と箱館が開かれます。続く1858年の日米修好通商条約は、大老・井伊直弼が朝廷の許可を得ないまま調印したうえ、相手国民を日本の法で裁けない(領事裁判権)、輸入品の税率を自分で決められない(関税自主権がない)という不平等な内容でした。反対派を弾圧した安政の大獄は反発を招き、井伊は桜田門外で暗殺されます。
- 日米和親条約(1854)
- 日米修好通商条約(1858)
- 安政の大獄・桜田門外の変
当初の合言葉は「外国を追い払え」(攘夷)でした。しかし1863年の薩英戦争、翌年の四国艦隊による下関砲撃で、力の差を思い知ります。攘夷は無理だと分かった時点で、目標は「外国を追い払う」から「外国に対抗できる強い国を作る」へ変わりました。そのためには幕府では足りない——こうして1866年、敵対していた薩摩と長州が薩長同盟を結び、1867年に徳川慶喜が大政奉還で政権を朝廷へ返します。
- 薩英戦争(1863)
- 薩長同盟(1866)
- 大政奉還・王政復古(1867)
新政府がまず直面したのは、名前だけ変わっても実権は各藩にあるという問題でした。1869年の版籍奉還で大名は土地と人民を天皇に返し、1871年の廃藩置県で藩そのものが廃止されます。続いて1873年、徴兵令で武士以外からも兵を集め、地租改正で税を「収穫に応じた米」から「地価の3%を現金で」に変えました。政府の収入が天候に左右されなくなった一方、農民の負担感は重くなります。
- 版籍奉還(1869)
- 廃藩置県(1871)
- 徴兵令・地租改正(1873)
改革は武士という身分そのものを消しました。刀を差す特権も、家ごとの給与もなくなります。その不満は二つの道に分かれました。ひとつは武力で、1877年の西南戦争が最後の反乱になります。もうひとつは言論で、1874年の民撰議院設立建白書に始まる自由民権運動です。政府は1881年に国会開設を約束し、1885年に内閣制度、1889年に大日本帝国憲法を発布、翌1890年に第1回帝国議会を開きました。ただし選挙権は直接国税15円以上を納める25歳以上の男子に限られ、有権者は全人口の約1.1%にすぎませんでした。
- 西南戦争(1877)
- 国会開設の勅諭(1881)
- 憲法発布(1889)・議会(1890)
押さえどころ
- Ⅰ 開国と動揺:不平等条約と、無許可調印への反発
- Ⅱ 攘夷から倒幕へ:実力差を知り、目標が入れ替わった
- Ⅲ 新政府の建設:版籍奉還 → 廃藩置県で実権を中央へ
- Ⅳ 不満と憲法:武力(西南戦争)と言論(自由民権)に分かれ、憲法と議会へ
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| 用語 | 意味 |
|---|
| 領事裁判権 | 相手国の人が罪を犯しても、日本の法で裁けない取り決め |
| 関税自主権 | 輸入品にかける税率を自分の国で決める権利。これが無かった |
| 版籍奉還 | 大名が土地と人民を天皇に返したこと |
| 廃藩置県 | 藩を廃止して県を置き、中央から知事を送った改革 |
| 地租改正 | 税を地価の3%を現金で納める形に変えた改革 |
| 西南戦争 | 士族による最後の武力反乱(1877年) |
ねらい
- 主要な出来事を年の順に並べられる
- 流れが大きく変わった年(1853・1867・1871・1889)を挙げられる
- 出来事の間隔(何年空いたか)をつかむ
いつ何が起きたか
朱の印は、流れが大きく変わった年です。
押さえどころ
- 1853 ペリー来航 ─ すべての起点
- 1867 大政奉還 ─ 政権が朝廷へ戻る
- 1871 廃藩置県 ─ 実権が中央に移る
- 1889 憲法発布 → 1890 第1回帝国議会
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| ペリー | 1853年 が軍艦4隻で浦賀に来航し、開国を迫った |
| 日米修好通商条約 | 1858年 を結んだ。領事裁判権を認め、関税自主権がない不平等条約だった |
| 桜田門外の変 | 1860年 で、大老の井伊直弼が暗殺された |
| 薩長同盟 | 1866年 により、敵対していた薩摩と長州が手を結んだ |
| 大政奉還 | 1867年 で、徳川慶喜が政権を朝廷に返した |
| 版籍奉還 | 1869年 により、大名が土地と人民を天皇に返した |
| 廃藩置県 | 1871年 で藩が廃止され、中央から知事が送られた |
| 地租改正 | 1873年 により、税は地価の3%を現金で納める形になった |
| 西南戦争 | 1877年 が、士族による最後の武力反乱となった |
| 国会開設の勅諭 | 1881年 が出され、10年後の国会開設が約束された |
| 内閣制度 | 1885年 がつくられ、伊藤博文が初代総理大臣になった |
| 大日本帝国憲法 | 1889年 が発布された |
| 第1回帝国議会 | 1890年 が開かれた |
自分の資料を差し込む年表のプリント、資料集のページ
ねらい
- 主要な人物がどの場面の人かを言える
- よく出る用語の意味を自分の言葉で説明できる
人物
| ペリー | アメリカ東インド艦隊司令長官 | 1853年に浦賀へ来航し、開国を迫った |
| 井伊直弼 | 幕府の大老 | 朝廷の許可なく通商条約に調印。安政の大獄の後、暗殺された |
| 坂本龍馬 | 土佐藩出身の志士 | 薩摩と長州の仲立ちをしたとされる |
| 徳川慶喜 | 15代将軍 | 1867年に大政奉還を行い、幕府の幕を引いた |
| 西郷隆盛 | 薩摩藩出身 | 倒幕の中心。のちに政府を去り、西南戦争で敗れる |
| 大久保利通 | 薩摩藩出身 | 廃藩置県や殖産興業を進めた新政府の実力者 |
| 岩倉具視 | 公家 | 使節団を率いて欧米を視察し、制度づくりの土台を作った |
| 伊藤博文 | 長州藩出身 | 憲法づくりを主導し、初代内閣総理大臣となった |
| 板垣退助 | 土佐藩出身 | 民撰議院設立建白書を出し、自由民権運動を率いた |
用語
| 尊王攘夷 | 天皇を尊び、外国を追い払おうという考え。実力の差が分かると倒幕へ向かった |
| 不平等条約 | 領事裁判権を認め、関税自主権がない条約。改正は明治の外交の最大の課題になった |
| 版籍奉還 | 大名が土地(版)と人民(籍)を天皇に返したこと。ただし統治は元の大名が続けた |
| 廃藩置県 | 藩を廃止して県を置き、中央から知事を送った改革。これで実権が政府に移った |
| 地租改正 | 税を米から現金に、収穫高から地価3%に変えた改革。政府の収入が安定した |
| 殖産興業 | 官営工場などで産業を育てた政策。富岡製糸場が代表例 |
| 自由民権運動 | 国会開設と憲法制定を求めた運動。武力ではなく言論による要求 |
| 欽定憲法 | 君主が定めて国民に与える形の憲法。大日本帝国憲法がこれにあたる |
覚えているか — この面の言葉
黒い部分をタップすると答えが出ます。
| 人物 | どの場面の人か |
|---|
| ペリー | 1853年に浦賀へ来航し、開国を迫った |
| 井伊直弼 | 朝廷の許可なく通商条約に調印。安政の大獄の後、暗殺された |
| 坂本龍馬 | 薩摩と長州の仲立ちをしたとされる |
| 徳川慶喜 | 1867年に大政奉還を行い、幕府の幕を引いた |
| 西郷隆盛 | 倒幕の中心。のちに政府を去り、西南戦争で敗れる |
| 大久保利通 | 廃藩置県や殖産興業を進めた新政府の実力者 |
| 岩倉具視 | 使節団を率いて欧米を視察し、制度づくりの土台を作った |
| 伊藤博文 | 憲法づくりを主導し、初代内閣総理大臣となった |
| 板垣退助 | 民撰議院設立建白書を出し、自由民権運動を率いた |
ねらい
- 選択問題で、流れと用語を確かめる
- 間違えたところは前の面へ戻って読み直す
確認テスト
Q11853年に浦賀へ来航し、開国を迫った人物はだれか。
Q2日米修好通商条約が不平等とされる理由はどれか。
Q3攘夷から倒幕へ目標が変わったきっかけとして正しいのはどれか。
Q4大政奉還によって起きたことはどれか。
Q5藩を廃して中央から知事を送った改革はどれか。
Q6地租改正で税のしくみはどう変わったか。
Q7士族による最後の大きな反乱はどれか。
Q81890年の第1回帝国議会のとき、選挙権があったのはどのような人か。
ねらい
- この面だけで、37年ぶんを通しで確かめられる
- 思い出せないところは、その面へ戻って読み直す
全体チェック
この1枚に全部入っています。黒い部分をタップすると答えが出ます。
① 流れ
🔍 ひとつの問いへの答えが、次の問いを生んだ。
- 出発点=外からの圧力(黒船と不平等条約)
- 転換点=攘夷が無理と分かり、強い国を作る方向へ
- 中央集権=版籍奉還 → 廃藩置県 で実権が政府へ
- 終着点=大日本帝国憲法(1889)と第1回帝国議会(1890)
② 4つの時期
🔍 問題が入れ替わる場所で区切ると、筋が通る。
- Ⅰ 開国と動揺(1853–1860)… 無許可の調印と安政の大獄への反発
- Ⅱ 攘夷から倒幕へ(1860–1867)… 薩英戦争で実力差を知り、薩長同盟へ
- Ⅲ 新政府の建設(1868–1873)… 徴兵令と地租改正で兵と税を作りかえる
- Ⅳ 不満と憲法(1874–1890)… 西南戦争と自由民権運動、そして憲法へ
③ 年表の要所
🔍 大きく変わった4つの年。
- 1853 ペリー来航 ─ すべての起点
- 1867 大政奉還 ─ 政権が朝廷へ戻る
- 1871 廃藩置県 ─ 実権が中央に移る
- 1889 憲法発布 → 1890 第1回帝国議会(有権者は全人口の約1.1%)
④ 人物
🔍 誰がどの場面の人か。
- 井伊直弼… 朝廷の許可なく通商条約に調印し、桜田門外で暗殺された
- 徳川慶喜… 大政奉還を行った15代将軍
- 西郷隆盛… 倒幕の中心。のちに政府を去り、西南戦争で敗れる
- 伊藤博文… 憲法づくりを主導し、初代内閣総理大臣となった
- 板垣退助… 民撰議院設立建白書を出し、自由民権運動を率いた
⑤ 用語
🔍 試験で問われるのはこの言い回し。
- 領事裁判権… 相手国の人を日本の法で裁けない
- 関税自主権… 輸入品の税率を自分で決める権利。これが無かった
- 版籍奉還… 大名が土地と人民を天皇に返した(統治は元の大名が継続)
- 地租改正… 税を地価の3%を現金で納める形に変えた
- 欽定憲法… 君主が定めて国民に与える形の憲法